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昭和34年組/1959年生まれ

カテゴリー[ 書籍メモ楽屋用 ] 2009/11/22

 発端は、宮台真司周辺が昭和34年で固まっているのかな、と気になり始めたこと。

   ※ スキゾ世代:1959年生まれ

2009年11月22日
 50歳前後、「34年組」あたりは、中途半端に地位権力名声があるけれど中途半端に視点が古いので扱いがめんどくさいかもしれない、とオモタ

  iTatazmとりっくん:福岡伸一の馬鹿なコメント

 昭和34年を中心に、前後1〜2年範囲の生まれあたりが、何かこじれた位相に居るような気がする。
 (いや、他人事ではないのでね。)

 あまり調べていないけれど、ちょっと拾ってみるとこんな感じ。

宮台真司 (●本リンク削除『民主主義が一度もなかった国・日本』『日本の難点』)
森岡正博 (●本リンク削除『無痛文明論』『草食系男子の恋愛学』)
香山リカ (●本リンク削除『しがみつかない生き方』『「私はうつ」と言いたがる人たち』)
佐藤 優 (●本リンク削除『国家の自縛』『インテリジェンス 武器なき戦争』)

佐倉統 (●本リンク削除『遺伝子vsミーム』『進化論の挑戦』)
川島隆太 (●本リンク削除『脳を鍛える大人の計算ドリル』『脳と音読』)
和田秀樹 (●本リンク削除『「グズ」の習慣が直る本』『「感情の整理」が上手い人下手な人』)
齋藤孝 (●本リンク削除『地アタマを鍛える知的勉強法』『凡人が一流になるルール』)
苫米地 英人 (●本リンク削除『夢をかなえる洗脳力』『苫米地式「幸せ脳」のつくり方』)

 「日本の生物学者」福岡伸一も、昭和34年組。 (●本リンク削除『生物と無生物のあいだ』『世界は分けてもわからない』)
 学者・論者方面は、「有名人の誕生日一覧」にはあまり載らないので、発掘すればもっと出てくると思う。

 目下、気になるのは上の分野が主で、あと下記はオマケだけれど。
 昭和34年プラスマイナス1〜2年ね。

宮部みゆき
小野不由美
岡田斗司夫
江川紹子
辻元清美
逢坂 誠二
浅羽 通明
田口 ランディ

庵野秀明
浦沢直樹
山本直樹
やくみつる
内田春菊

荒木飛呂彦
雨宮 慶太
美樹本 晴彦
藤原 カムイ
北条司
山本 貴嗣
細野 不二彦
玖保 キリコ
成田美名子
竹本泉
新井素子
野間美由紀
いのまたむつみ
徳弘 正也
しりあがり寿
福本伸行

... 以下つづき...




松尾貴史
北野 誠
嘉門達夫
宮本亜門
高橋名人
引田天功 (2代目)
石井竜也
柴田理恵
京本政樹
サンプラザ中野くん
生瀬勝久
室井滋
岸本加世子

 気のせいと言われればそれまでかもしれないが、実感として、「特定の世界観を浴びてしまった」世代という姿が、立ち現れて見える。

※ 「34年組」という呼称は、昔昭和24年生まれの少女漫画家が「24年組」と呼ばれて一世を風靡した、その故事wに倣ったもの。

U34年組U

この箇所へのリンク【以下、つれづれに追記】

■37年組

 村上隆、茂木健一郎 あたりになると「どこかに真実があったに違いない」強迫観念憑かれは解消して、なんちゃってOK感でドライブしている気がする。
 そういう、本人の資質以上に、時代の刷り込みに操作されている的なヒトのありようが興深い。

■31年組

 池田光穂、山岸俊男、早川由紀夫、31年組だ(敬称略)。
 34年組とはまた違って「ちょっと乖離気味のゴーイングマイウェイ」的な共通点を感じてみたり。
 ・・・ディベートやごっこの素養がない?のかな?

U34年組U

■安藤寿康 (●本リンク削除『心はどのように遺伝するか』)

 なんかね、安藤寿康氏だけは、34年組の中でも「違った世界の規範を刷り込まれている」ような気がして、34年組リストに入れるには抵抗感がある。
 と・・・31年組に近いのか?>安藤寿康さん
 そういえば、安藤さんは オペラフェチ(失礼)で日本のサブカルやマンガ世界はとんとわかってなかったし

U34年組U

この箇所へのリンク■31年組、34年組、37年組


■31年組:
 真実憑かれ。真実は一つであり自分の側にあり、おいおい衆生は自分の側の真理に収納されていくべきだ。

■34年組:
 真実カルチャーショックに打ちひしがれて、でも「いや、それでもどこかに真実があったのではないか」と常に自戒的(自虐的?)に異なる価値観や視点の間を模索・仲介し続ける感じ。

■37年組:
 真実憑かれからは脱却しちゃって「真実っぽく見えるものを陳列してうまくやっちゃってかまわないさー」w

・・・真実カルチャーショック(= 大きな物語の亀裂に晒される経験 )の象徴的な作品としては、自分としてはテレビで放映された映画「イージーライダー」だったが。

 なお、あと付けのコジツケの類になるかもしれないが、関係があるかどうかわからないが、高校当時、「おまえの学年(34年組)は近来まれに見るヘンテコで面白い学年だ」と、教師群に沙汰されていた覚えがある。

U34年組U

追記:34年組さらに   順不同

大塚英志(●本リンク削除『サブカルチャー文学論』『物語消滅論』)
斎藤環(●本リンク削除『戦闘美少女の精神分析』『心理学化する社会』)
  情報ありがとうございます。

山口二郎氏(北大教授)も34年組。
●本リンク削除『若者のための政治マニュアル』『民主党政権は何をなすべきか』)

榎本憲男氏(映画監督:宮台真司氏の親友で、シナリオ講座の閲覧がおすすめとのこと)も1959年の34年組。
  ●本リンク削除『見えないほどの遠くの空を』

中村雅彦氏(拝み屋&パラサイコロジー教授)は1958年。(●本リンク削除『呪いの研究』『超心理学入門』)

鹿野司氏(サイエンスライター)も1959年の34年組だそうな。(●本リンク削除『サはサイエンスのサ』『巨大ロボット誕生』)
その後『サはサイエンスのサ』を拝読したが、ものすごく34年組っぽくてびっくりした。すごいわこの本!

植木不等式さんっ 1958年。(●本リンク削除『ぼくらの哀しき超兵器 軍事と科学の夢のあと』)

貴志祐介氏、大阪生まれの小説家1959年。( ●本リンク削除『新世界より』●本リンク削除『天使の囀り』 )

本間正人氏 学習学ファシリテーター1959年。( ●本リンク削除『上司を味方にする技術』 、●本リンク削除『叱らなくても部下の心をつかむ方法』)

パチンコ系脳科学者、篠原菊紀氏は60年。( ●本リンク削除『ボケない頭をつくる60秒活脳体操』 ●本リンク削除『ボケない脳をつくる』 )
セクハラ系脳科学者、澤口俊之氏は59年。( ●本リンク削除『夢をかなえる脳』●本リンク削除『「やる気脳」を育てる』 )

飯田哲也氏 原発災害で一躍有名に1959年生まれ。
●本リンク削除『原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治にむけて 』)

平智之氏、多数決民主主義の幻想を唱え「禁原発」を掲げる1959年生まれ。
●本リンク削除『なぜ少数派に政治が動かされるのか?』)

浜井浩一氏 刑事政策・犯罪学のスゴ本で知られる1960年。
●本リンク削除『2円で刑務所、5億で執行猶予』●本リンク削除『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦』 )

村山司氏 海獣(イルカ・クジラ)類研究1960年。
●本リンク削除『イルカの認知科学』●本リンク削除『海獣水族館』)

坂井律子さん 生命倫理(リプロダクティブ・ライツ)1960年。
(『いのちを選ぶ社会』『ルポルタージュ出生前診断』)

渡辺謙っ さんっ! 俳優1959年(昭和34年)10月21日っ

さらに はてブコメ (2010/07)にて Talgo さんによる指摘。
皇太子が1960年の早生まれ。
きゃああああああwa

-=-=-=-=-=-=-=-=

ゆうきまさみ氏は、34年組の香りが強めの作風で、チェックしてみると1957年。

-=-=-=-=-=-=-=-=

■37年組

佐々木俊尚氏(ITジャーナリスト)は1961年の36年。
実際37年組っぽい。
●本リンク削除『電子書籍の衝撃』『マスコミは、もはや政治を語れない』)

京極夏彦が37年組だった!
「真実っぽく見えるものを陳列してうまくやっちゃってかまわないさー」まんまだw

吉田戦車は1963年、昭和38年。こちらも、まんまというか、権化?

U34年組U

■34年組について、はてなのJoetip氏が ブコメにて曰く
学生運動に乗り遅れたという負い目があり、なんか運動起こさなくちゃという脅迫観念があるのではないか。

 それあると思う。
 あの喧騒が「世界」だと思ってた、「闘う世界がある」「でもそれは崩壊した」そう刷り込まれるほどの、インパクトのある白黒テレビ映像が氾濫してた。ケネディ暗殺、月着陸、ゲバ棒、ベトナム、ウッドストック、万博、あさま山荘・・・世界は沸騰してた。
 そして、大人になったらすべてが終わってグズグズになっていた。

 逆に言えば、「そうか、ほかの世代はあんな刷り込みはされていなかったのか!」的な目ウロコ。
 

34年組なくしては成り立たない34年組の塊的な作品・・・

『20世紀少年』
『アオイホノオ』
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』



小・中学生くらいで終戦を迎えた世代の人々が、
 戦時中の非常体制が「平時でありデフォルトの世界」だと思ってた
と刷り込まれていて、迎えた終戦によってどえらいトラウマとか抱えたとゆってたぁそれみたいな。

小学校で終戦を迎えた高齢者で、「アメリカ様にはいっさい頭が上がらない」的な異様な心理的刷り込みを深く深くされていてどうしようもない実例が、身内にいたりするし…

宮台真司

この箇所へのリンク【34年組と37年組の違い】


34年組と37年組の違いに言及した箇所を見つけました。(2010/06追記)
●本リンク削除『 M2われらの時代に 』  宮台 真司, 宮崎 哲弥 (著) 朝日新聞社 (2002/02)
【抜粋&再構成です】

宮崎◎俺たちの世代は自意識の問題って本当にないと信じていた(笑)。

宮台●あれっ、そうなの?

宮崎◎俺はいまでも別の意味で自我の困難というのは、虚偽の問題設定だと思っているけど、当時はストレートに、ロクな考えもなく「ない」と思ってました。

宮台●宮崎さんが3歳下なのが大きいかな(笑)。

宮崎◎「自意識の問題はあるけど、ないことにしておこう」と後団塊の先行世代が言表していたのを真に受けて、本当にないと思ってたのが俺たちの世代。宮台さんって実感的にいうと、やっぱ「お兄さん」だなあっていうのは、前から薄々感じてたけど……。

宮台●宮崎さんたちは浅田彰を真に受けたと(笑)。

-=-=-=-=-=-=-=-=

宮台●僕は小学校4年で、物心がついてて、安田講堂の攻防戦を見ていました。中高生の頃は実際に中学・高校紛争にも参加できたし、中高時代は自分が世界を革命できると信じてたわけです。

宮崎◎俺はどちらかというとそういうものが失墜していく過程を見せられたから、「光明体験者」への強い反発もあるんだよ。

宮台●僕もあるよ。『終わりなき日常を生きろ』でも書いたけど、光明体験のある連中こそが、実は危険な煽動者になりがちなの。中沢新一になったり、麻原彰晃になったり。

宮崎◎細野晴臣みたいに(笑)。

宮台●ニューエイジ・神秘体験系になって、周りに毒を撒き散らすわけ。比喩じゃなくて本当に撒いた人たちもいた(笑)。ただ「ここではない、どこか」をべ夕に信じるのは単なるバカでも、非日常を渇望せざるをえないエクセシヴな動機づけを、僕は否定したくない。

宮崎◎それは3歳の年齢差を強調したいわけじゃないけど、やっぱり光に被曝した人の記憶資源の利用の仕方だよ。俺はないよ、そういう記憶。

宮台●いいんだよ。宮崎さんにはない。僕にはある。どうにもならない事実だね。

 被爆していた、というのは、実感として「ああ」という気はする。
 年齢や生い立ちが異なると、それがないのか。 という落胆感も。

 オンラインで知り合った若いスクールカウンセラーに、「なぜそのような使命感に憑かれているのか」と問われて「あれ?」と思ったこともある。
 「他人にはそれがないのか???」

 実際に「革命はできる、せねばならない」という取り憑かれに突き動かされていた。

宮台真司

この箇所へのリンク【1940年組】

別の世代ではこのような刷り込みもあるらしい。(2010/07追記)
ジョン・レノンと同い年の著者はこう述べている。
●本リンク削除『戦争する脳 破局への病理』 (平凡社新書) 計見 一雄 (著) 平凡社 (2007/12)
p.8
 全くの私見、というより偏見であろうと思うが、この年の新入生は戦後日本での特異年齢のように感じられてならない。これは、小学生からはるか後年、四〇歳過ぎてからの実感である。自分と同年の人と、その上下年齢の人々に微妙な違いがあって、自分だけかと思って同年の友人に聞くと、「そうだ」と言う。
 どう特異なのかは、うまく説明できないが、例の教科書墨塗り事件が大きな違いのように思う。 [〜中略〜] 最初にもらった「教科書」は一枚のわら半紙だった。 [〜中略〜] 上級生どもが羨ましかったのは、墨塗りできるだけのボリュームの教科書を持っていたからである。
 私たちにとっては、学校とはそういうもので、教科書とはそういうものだった。教師の豹変振りや大事な教科書に墨を塗ることにショックを受けるなんてことも無縁。つまり、なーんにもないのである。教師はもちろん親どもも、自信喪失しているから、道徳的権威たりえない。「終戦」で俄にそうなったのではなくて、元々そういう世界。
 発達心理学では、就学前と後での規範意識の発達には相当な質的違いがある。幼児期のしつけその他は、もっぱら親に責任のある、いわば私的領域での出来事だが、就学と同時にそれが公的な社会的規範の習得に変わる。私たちに与えられなかったのは後者である。
 [〜中略〜] 上下の年齢の人たちとの違いは、いわば規範意識の違いのようだ。 [〜中略〜] 
 そのせいか、未だにわからない日本語がある。「世間」なる概念、おそらく死ぬまでその意味が把握できないであろう。

 「発達心理学では、就学前と後での規範意識の発達には相当な質的違いがある」

 就学前と後。
 最近「13才から」「14歳から」「中学生から」的な表題のお手軽書籍が流行っているが、「中学生からでは遅くないか!?」という疑念はあった。10歳くらいですでに何か刷り込みがあるんじゃないかと。

 そこで31年、34年、37年の違いだ。

 考えてみるに、「就学と同時にそれが公的な社会的規範の習得に」入ったときに、34年組は「万博」だったんだ。自分は「10才=1970年」。万博会場にバス一本で行ける場所に住んでいて、よく建設光景を眺めに行ったし、開催中は万博に出演もした。革命は「わかってやってる」祭りであり、革命的なことが実現し、SF(現実の逆照射)はある意味アタリマエな素養教養だった。

 31年組はどうだ。「10歳=1967年」。初めての衛星中継がロバート・ケネディ暗殺であり、まだウッドストック前であり、これからアポロ月着陸であり、猖獗を極める公害より業績優先であり「真実は一個で、この路線のまま行けばいずれは真理(成功)に到達する」的な「まだ反省のすべを知らない」「オルタナティブへの目配りが不用だった」規範の時代ではなかったか。
 自分が拾った31年組さんたちが、いずれもSF(ファビュレーション)感覚を知らない事実が、何か強い示唆を見せているような。

この箇所へのリンク【さらに引用を追記】この対談の二人はともに34年組

●本リンク削除『原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて』
 現代新書 宮台 真司 (著), 飯田 哲也 (著)
 講談社 (2011/6/17)

宮台 そこで、お聞きしたいんですが、原子力ムラに適応しきった人も少なからずいるわけですよね、、この方々は、もともとはしかし、飯田さんと同じように、ナチュラルサイエンティストになろうという気高い志をもっていたのでしょう。そうした方々が、原子力ムラに過剰適応するに至る理由が、僕には分からないわけです。飯田さんはどうしてだと思われますか。

飯田 ひとつは世代の違いがあるように思います。
 上の世代のひとは、意外と素直に適応している。1960年代的な工学がつくり上げてきた高度成長のときに青雲の志で「大きいことはいいことだ」という重厚長大型の世界のなかで自分たちの価値観が形成され、なおかつその頃は大学に進学するひとが少ないので、自分はエリートだと思い、一般大衆を愚民視する。一直線な価値観が組み込まれていて、脇目をふることがない。
 われわれと同じ世代はぶれていて、迷っている人が多いように思います。われわれの世代ともう少し下ぐらいまでは、原子力を志すタイプはそこそこ頭がいいんですよ。であるがゆえに、見たくないものも見えてしまう。だから、原子力委員長代理である鈴木達治郎さんなどは、非常に柔軟性があって、原子力ムラとその境界線の半歩内側ぐらいを上手に歩いていた。私は少し外に出ていますが、内側の人たちともコミュニケーションがとれます。
 昨年(2010年)ぐらいから自主的に原子力政策円卓会議を主宰していて、東工大の澤田哲生さん、東大の長崎晋也先生、そして名前は挙げませんが、同じく東大から科学技術庁庁に行き、原子力ムラの中に居つつも中心から距離をとりながら冷静に見ている、そういう人たちもいます。
 もっと下の世代、いま30歳代とか40歳未満ですと、今度は青年将校みたいになって、強硬な推進論を屈託無く「オレの選んだ道なんだ。ウダウダ言うな」というタイプがでてきます。

宮台 わかります。それは、ポピュラー・カルチャーでいうところの「セカイ系」に対応しています。実存の問題と世界の問題が直結していて、具体的な他者との関係が捨象されている。「オレの選んだ道なんだ」というのは象徴的です。昔の言い方でいえば、認知的不協和理論的なものですね。自分自身の選んだ道が合理化されるような形で、世界を意味加工してしまうわけです。

 31年組は「これを皆が共有して当然、的な一直線な価値観が組み込まれていて、脇目をふることがない。」
 34年組は「ぶれていて、迷っている」
 もっと下の世代は、「自分的インナーワールドで他者を解釈してはばからない」

宮台真司

 「発達心理学では、就学前と後での規範意識の発達には相当な質的違いがある」
 宮台曰く、社会的規範は誰かが教えて習得されるのではなく、子どもは社会を直接感じて学習していく。

 これらと、ニスベットの●本リンク削除『頭のでき 決めるのは遺伝か、環境か』、ウィルキンソンの●本リンク削除『平等社会 経済成長に代わる、次の目標』とを読み合わせると、宮台の言う「教育を変えよ」の実効性について、深く考えるべき契機に見えるんだが。

(ニスベット、ウィルキンソン、34年組、サはサイエンスのサ、心理学で何がわかるか、サイボーグカフェ、日本流ファシズムなどをクロスにクロスさせて科学ブログのほうにエントリを書きたいのだけれど、それだけまとまった暇が取れない貧乏暮らしなので、このエントリにちょこちょこ追記することでうっぷんを晴らしています。しょっちゅう追記してごめん)

宮台真司

ついでに、こちらも引用しておこう。
 若者の消費動向が注目される要因のひとつは、人間が20代にまで身に着けた嗜好には強い習慣性があるからのようだ。
 多くの人間は学生のときに流行った遊び、稼ぎ始めたときに覚えた遊びを年をとっても捨てられないのだという。
 〜 @cyberbloom

 自分は、文化心理学に惹かれる。
 思春期に関西から関東に転居し、カルチャーショックと文化的刷り込みの恐ろしさに震撼したからだ。
 以来、「環境刷り込み」のさまざまな結果に目が眩み続けている。

 ヒトは、世界で出来ている。








2015年時点での追記。



これら心理的刷り込みは、端的に言えば
 「何をすれば自分が逆境感から開放されるだろうか」
 「何をすれば、自分は救われ感を得られるだろうか」
の物語的刷り込みだと思う。
(刷り込まれたロールモデル、将来の理想観)

特定の時期(小学校高学年まで?)に、どのような
 「こうすれば苦難から開放される」
 「こうすれば、救われ幸せになる」
物語を刷り込まれたか。

個々の家庭の事情はさまざまで効果を抽出しづらいが(それこそ個別カウンセリングが必要なほどの十人十色)、その世代でどのような物語が特に多く供給されていたかは、メディアから推察することができる。

よそさまのタンスや壺から勝手に金品や薬草を盗るなど,見つかってとがめられることさえなければどんな裏ワザを駆使したっていい、才能のないザコ(NPCの村人やゾンビ)は捨て置いてかまわないホリエモン世代。

新型うつ病は、「不慣れな世界で逆境感を感じたらこうする(ゲームやネットでの逆境は、努力も交渉も全く通用しない。自分を救うにはただただ逃避するしかない)」と生育過程で学習してきた「こうすれば苦難から開放される」観をまんま実行しがちであるその結果。

子どもの名付けのキラキラ化は、「こんな名前の人は幸せになる」というサブカル世界の勇者・ヒロインの姿に従う結果。それはすなわち、伝統的な人は_打開して幸せになる図式_の中では想起されない、リアルに幸福感を感じていないという… なんつーか、「ゲーム類から供給される過剰な幸福感が、リアルの幸福感を駆逐している」状態。
「死んだら**(ゲームタイトル)の世界に行きたい」と宣言してはばからないひきこもりさんとか実在したのも、「ゲーム類から供給される過剰な幸福感」あたりを考慮すべき案件。

「過剰な幸福感を希求する」アレってぇのは、「過剰な食欲→肥満」「過剰な生存欲→人口爆発」的な、進化心理学的に言えば「昔の世界では適応的だったんだけどねぇ」性質にすぎない。

いつのまにか「広大な外の世界(ネット)」とリアルを隔てる巨大な壁が発生していて、巨大な壁の向こうから、予告もなく突然異様ななまなましい存在がリアルの暮らしを破壊しに来る(ケツバーガー事件類)。貧弱なネットツールで急所を探して迎え撃つ僕らは、ヘルメットもプロテクターもない生身のネットイナゴ。リアルでは下劣極まりないハンジのような鬼女も、いまや味方の一員。敵は都合が悪くなるとさっさと垢凍結して逃げたりする近所の姉ちゃんだったりする。
:『進撃の巨人』エラの「こうすれば苦難から開放される」観は、ネットイナゴ。

もはや、そこにあるのは先輩後輩の小さな(Lineの)サークルだけ。一歩学校の外に出れば、世の中(ネットの人たち)はすべてゾンビ(話の通じない異文化な人間)しか存在してなくて、そこにはもう心配の対象であるべき家族の気配すら登場しない。話をわかってくれそうな先生がいても、Lineを始めたら先生のポジションはあっさりゾンビ側に滑り落ちる世界。
:『がっこうぐらし』エラの「こうすれば苦難から開放される」観は、ライン仲間の外は怖いからクローズドの小さな同世代ネットの中で、日常の夢を壊されないように戦々恐々として暮らす。
 ┗ 誘拐されて殺された深夜徘徊中学生男女の姿まんま…

…妖怪ウォッチは、「**をすれば自分は救われる」コースの提示が弱くて、ロールモデルを供給できてないぞ。だからポケモンに及ばないんだぞ。

-=-=-=-=-=-=-=-=

34年組は、「ほかの人がスルーしている大事なことをしっかり書き留めておいて、革命に備えなければいけない」という刷り込みが強いんだと思う。ゲバ棒、ベトナム、そして一神教圏からのドラマや映画の大量放送。

あー。34年組の「ゲバ棒、ベトナム」成分が発生する前の「一神教圏からのドラマや映画の大量曝露」の影響だけを強く受けているのが、31年組の「真実憑かれ。真実は一つであり自分の側にあり、おいおい衆生は自分の側の真理に収納されていくべきだ。」なんだろうか。
あれだけ大量に「アメリカン映画・ドラマ」を浴びていた世代って、31年組だけだよな。
安倍晋三、安藤寿康。 
 

2009年11月22日
[カテゴリ 書籍メモ楽屋用] 
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  突進したのに相手は古い日付の記述だった、みたいな食い違いがたまに発生しています。



[ Dorm B ]は dormitory B
(宿舎、寮、学生会館)の略

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