安田喜憲

カテゴリー[ 書籍メモ楽屋用 ] 2008/07/12

去年チェックした安田喜憲筆2冊についてメモ。

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ひとつは2004年の「改訂第3版 世界史のなかの縄文文化」

◆左表紙

 改訂第3版 「世界史のなかの縄文文化」
 安田喜憲著
 考古学選書 雄山閣 2004/12



 最初は1987年に出た本らしい。2004年のこれは第三版目。
 まえがきは平成十六年(2004年)の日付で、その主題は「『神の手事件』(2000年)のときにはもうエライ目に遭った。ほんとどないしたろかと思た」。
 で、要はそのポスト『神の手事件』に対応した増補改訂を行ったのが、この第3版。
 元は1987年の記述が土台にあるわけで、きょうび目立つフカシや自己陶酔は本文に於いては目にはつかない。加筆された前書きに少し滲み出ている程度。

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いまひとつは2007年の『現代の考古学1』への寄稿。

◆左表紙

 『現代の考古学 1 現代社会の考古学』
 岩崎 卓也・高橋龍三郎 (編)
 朝倉書店 (2007/09)

 安田喜憲=第6章「環境科学と考古学」


 こちらは今どきの彼がどっぷりの甘美な世界丸出し。書き出しからしてもう「21世紀の世界は,いま,病んでいる」

 危機の時代は刻一刻と迫ってきている.2025年が,筆者(安田,2005)が予測する,水と,食料と,災害の破滅的カタストロフの第一波がやってくる時代である.
 その問題の解決のために,過去から現在を見通し,現在という時の断面を,環境史と文明史のなかに正しく位置づけ,未来を予測するという歴史的アプローチに基づいて挑戦するのが,環境考古学者の役割である.

 19世紀以降のヨーロッパ人の目で人類文明史を語るのではなく,日本人の目で人類文明史を再構築し,日本人の手で日本文明史を再建することこそが,必要なのである.そしてそのことがいま,世界の誰しもがなしえなかった年縞によって環境史と文明史の相互関係を年単位で解明しようという世界最高水準の研究として,世界ではじめて日本人の手によってなされようとしているのである.

 本書の中の他の章からウキまくり。
 俺が俺がの自分野&自文化中心主義まっしぐら。独りよがりの善意救世主的ビッグウェーブノリノリ陶酔。
 で、その調子のまま認知科学や進化心理学に文化人類学さらには社会進化論までをも彼の直感を裏付ける証左として列挙していく。

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初めて安田言説を読んでげっそりしたときの話
◆  →『 環境考古学は大丈夫ですか? 』

安田言説とは大きく異なるマトモな環境考古学の本はそれなりにあるけれど
◆  →『 みなさんを環境考古学にご招待 』

テレビでも臆面なく流される安田節。
→ 『 「地球のDNA」とマヤの漆喰 』

日本代表として各国代表の前で顰蹙な日本文化救世主論をぶちあげる男
◆  →『 文化の多様性と通底の価値という放蕩 』

 ・・・なおらないんだろうな。

 少なくとも、自分は安田路線の環境考古学マンセーは歓迎しない。ほかの環境考古学研究者にも、環境考古学以外の他分野にも、迷惑だ。

 そして、「需要」と「正しさ」はイコールではないし、「理想の将来」と「科学的正しさ」も別の次元。この路線はこれで、エコ陶酔な人々や日本文化幻想好き人々の口においしい材料としてそれなりに賞味され流布していくのかもしれない。
 社会が「その路線に従いたい」というのであれば、哀れみはするけれど、ご自由にだ。

 その意味で、このエントリはメインブログではなく、こちらの楽屋に置く。


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