災害と超合法殺人「人桝田」そしてロシウ
カテゴリー[ フィクション禍 ] 2007/08/12
納涼&温故知新エントリ。

「地震と社会 上 「阪神大震災」記」 外岡秀俊〔著〕みすず書房 1997.12 [ Amazon ] [bk1]![]()
「地震と社会 下 「阪神大震災」記」 外岡秀俊〔著〕みすず書房 1998.7 [ Amazon ] [bk1]![]()
災害に言及するなら一度は読んでおけと言われた、たいへんタフな上下巻。
甚大な災害が発生したとき、発生する空白。情報が遮断されて、どんな被害が発生しているのか「何も起きていない」かのように、不気味な沈黙が立ち上がる。
警官が動けない。状況を把握して連絡しようにも、まず目の前の人を救わなければならない。
病院で手当を受ける人間の大半は、助かる者たちだった。助からないほどの重傷者は手当が廻らぬまま病院にたどりつくまでもなく死を迎える。
先生は、政府は、都市計画は、法律はどう動いてどう作用したのか、適宜ドキュメンタリーを挟み込み、過去の日本の政策経緯をもひもといて、なぜ今のこういう状態に至っているのか温故知新、厚い視野から偏りや対策を検証していく。
検証。
何がいつ、なにゆえにこの結果になったのか。
一人でこれだけの厚みをまとめてしまえる力量、この取材力、構成分析力。
ものすごい、はんぱない本だ。
短く紹介するのはおこがましいほど、記述が厚い。
この中、『天元突破グレンラガン』のロシウとかぶる史実が記載されている。
非常時の、無情もはなはだしく限られた資源の中で、平時から見てどう判断するのがベストとみなされるのか。全員救うことがかなわない状態に陥ったとき、仲間を救うためにだれをころすのか。
住民の人数を一定数以下にコントロールするために、村民の合意で、村民を殺す。 p.470〜
... 以下つづき...
その悲劇は、沖縄県の与那国島に伝わっている。
史跡も観光スポットとして残り、有名な話ではあるのだが、実際にあった史実かどうかは確定にいたらずもっぱら「伝説」として扱われている。
その1●人桝田(トングダ/トゥングダ)人量り田、人ン田、とも書く

呼称は「人間をはかるたんぼ」を意味している。
その田んぼに入りきれない人間は、殺したのだという。
今残る姿は、のどかな畑だけ。当時の面影は残っていない。
その2●久部良張り(クブラバリ)
幅2メートル、深さ10数メートル程のクレバス(自然の割れ目、断崖の亀裂)。
妊婦さんは、そこをジャンプして飛び越えねばならない。
失敗して墜落して死ぬ妊婦さん。かろうじて飛び越えることができても、恐怖のあまりに流産してしまう妊婦さん…。
これ以上産むなと。島の人間を増やすなと。
なんでこんな制度がこさえられてしまったかというと、お上(政府)からの「年貢(税)をよこせ」要求が、一人につきコレだけ絶対納めよ、と定める「人頭税」になったため。
この年貢の方式だと、
・与那国の島で採れる作物の量は決まっている
・年貢を納めると、生きていくのにかつかつだったりする
・島の人口が増えると、島全体が飢餓でマジやばいことになる
その島の窮状を避けるために、島の人口を増やさないために、適宜、島の人間を殺した。
「人桝田(トングダ/トゥングダ)」では、ある日突然、合図のホラやドラが激しく島に響きわたり、それを耳にした「15〜50歳の男たち」は、すべてを捨て置いても、いっせいに「人桝田」を目指して走り、飛び込む。その田んぼに入りきれずあふれた者、たどりつけなかった者(怪我人、病人…)は、住民の合意で殺される。
妊婦さんも、ある日突然「久部良張り(クブラバリ)」に集合させられ、死のジャンプを強要される。
ある日突然。口減らしのために。
そういう選択肢しか、なかった当時。
少なくとも島にはそういう伝説がくっきり刻まれている。

参照:
人舛田の旅行・観光:おでかけガイド じゃらん
「過酷な人頭税に苦しんだ島民の自衛の為の間引き策跡。
時代 : 1637年頃 空港から徒歩で30分 」
2007/02 なぜ、江戸時代は長続きしたのか? - どーみんの独り言
「人桝田、久部良バリ、ちなみに廃止されたのは何と1903年」
与那国島 離島の写真館
「薩摩藩が支配した時代から明治36年!まで」
八重山の歴史 mahiの部屋
「伝説を生んだ人頭税は、琉球が沖縄県となった後も続き、明治36年の土地整理事業の完了をまって廃止される。」
先島諸島その1 〜おかちん 世界と日本の旅
・トゥング田観光看板と久部良バリの現地写真あり
「島の生産高には限りがあるので、生きていくための最終手段は人減らしということになります。」
トゥングダとサンガイ・イソバ さっぽろ島うたの会
「トゥングダからあふれた者、時間に間に合わなかったものは一ヶ所に集められ処刑された」
2006/06 まったり沖縄紀行:トゥングダ(人舛田)
・今のトゥングダの写真あり
「今はそんな恐ろしい記憶の欠片さえ見当たらない穏やかな畑。」
歴史散策MAP
・今のトゥングダの写真
「100アールほどの水田があった場所」
小浜島・与那国島 新潟から一番遠い町へ(3)
・今のトゥングダと久部良バリの写真
2006/02 おきなわフォト Blog | 200602
「宮古島には「人頭税石」と呼ばれる石が今でも存在します。
15歳になりこの石(143cm)より大きくなると課税対象になった言われてる石です
・人頭税石の写真あり 実際に人頭税と関係あるかは諸説あり不明・・・
・クブラバリの写真あり
史実かどうか定かではないという話:
「与那国きび刈り日記」明治『南嶋探験』前後の人頭税
・15〜50歳までの男女を「しょうず正頭」(正人)と呼んだ。
・縦横100mのトゥングダをぎっしり人でうめるには1万人は必要。
・合図の鐘も非業の死を遂げた人の墓も残っていない。
・クブラバリの底には人骨が無い。人口調整なら堕胎か嬰児殺害で済む。
その反証:
2005/11 与那国の女酋長 サカイ・イソバ ?
「当時の与那国の人口は、三万余名もいて、食糧難は想像を絶した」
「田の中に押し合いへし合い集まり、田から外へ押し出された弱者は血祭り」
久部良割 クブラバリ(史跡) 沖縄デジタルアーカイブ
・クブラバリの写真あり
「クブラバリの周辺は奇岩・怪石が連続する岩礁地帯」
石垣島フィールド日記 南国の悲しい場所
・久部良割(クブラバリ)の大きめの写真
与那国島「クブラバリ」写真
・クブラバリの大きい写真
「地獄への裂け目。実際に立ってみると、脚がすくんでしまうほど恐ろしい。」
与那国島 〜ものうえホームページ
「ほとんどの妊婦が転落死、うまく飛び越えても流産はまぬがれなかった」
与那国島 石垣島発 てーどぅんたいむ(竹富時間)
・クブラバリの写真あり
「悪政に果敢に立ち向かい、これを打倒したサンアイ・イソバという女傑がいた。」

トゥングダについて:「視えない共和国」沢木耕太郎(所収『人の砂漠』)からの引用が読める
↓
2005/08 人頭税と経済学の存在理由 備忘録
『人の砂漠』(新潮文庫) 沢木 耕太郎 新潮社 改版版 (1980/12)
『トゥング・ダ(人桝田)クブラ・バリ(久部良割)伝説考』 増尾 由太郎 与那国・郷土の歴史を見直す会 (1981/04) 全63ページ
『久部良割・人升田(クブラバリ・トウングダ) 琉球にみる人口淘汰の悲劇』 書籍無姓無名(著) 2000年 東京布井出版
講談社学術文庫『南方文化の探究』 河村 只雄 講談社 (1999/03)100年くらい前の著作。「人升田(トングダ)と久部良割(クブラバリ)」の章あり。

●ここで『天元突破グレンラガン』の話に飛ぶけれど:
実際、ロシウが何をしようとしているかは、流れから必然的にコレ(避難船以外を殺すか、船の乗員を殺す)なんだろうと思うけれど(まだ第20回の放送前)、あいかわらずおおざっぱすぎる感情的強引動員ストーリーで、雰囲気的にはアレでもいいのだろうけれど、「納得はしづらい」。ムリヤリ過ぎ。
ゆえに、論理的に倫理を考えるケースワークに、例として取りあげるにはどうも…。もったいない。

【カルネディアスの板と緊急避難】

この、誰かに死んでもらわない限り全員が死んでしまう、というシチュエーションは「カルネディアスの板」という説話(?)で端的にあらわされる。
・船が遭難して、二人が海に投げ出された
・浮き板があるが、一人しかつかまれない
・二人がしがみつくと、二人とも溺れてしまう
・どちらかが死んで(もしくは殺して)生き残った場合、それは罪か
「カルネディアスの板」 この「カルネディアスの板」には、法的には「緊急避難」と呼ばれるものが関わってくる。
人や物から生じた現在の危難に対して、自己または第三者の権利や利益(生命、身体、自由、または財産など)を守るため、他の手段が無いためにやむを得ず他人やその財産に危害を加えたとしても、やむを得ずに生じさせてしまった損害よりも避けようとした損害の方が大きい場合には犯罪とはならない(違法性が阻却される)というものである。
「緊急避難」
ふつうなら、殺人や器物損壊、傷害行為は犯罪だとして罰せられる。
でも、例えば
・車にひかれそうになった子を突き飛ばして捻挫させた(傷害)
・泥棒を逮捕する際に、花壇を荒らしてしまった(器物損壊)
避けようとした目的のほうが大きい場合は、やむをえないとして罪を問わない方向に持っていく。そして、
・パラシュートが一人ぶんしかなかった…
・救命ボートに乗りきれない…
誰かが死なないと、誰も助かれないという状況の場合、自分の命を捨てなかった人の罪は問わないという結果になる。
これらはあくまで、「やむをえない、他に手段がなかったとみなせる」場合に限って厳密に適用されるものだ。
「ほかにましな手段があった!」とみなせる場合、これは「過剰避難」とみなされ、処罰の対象になる。
「過剰避難」 殺さなくても済む方法があったのに、殺してしまった場合は、殺人罪に問われる。
…この、別の手段をとりえたのか否かが、設定をちゃんと詰めて提示していない今(19回放送時点の)のグレンラガンでは、なんだかな〜なんだよね。

●冒頭の本に戻って:
【災害弱者】
ふだん、常人としてふつうに暮らしていても、ひとたび災害下の非常時におかれれば、突然「弱者」として切り捨てられてしまう、自分が弱者として切り捨てられてしまう可能性。
そういう非常時の切り捨てを行わざるをえないような、ふだんの構えになってしまっていないだろうか。
p.491
一口に「災害弱者」という時、私たちは、「災害に遭遇した社会弱者」という像を思い浮かべがちだ。災害時には、ふだんからハンディを負っている人々が、いっそう劣悪な環境下に置かれる。だから率先して救援すべきだ、という考え方だ。しかし、「弱者」に対するこうした「思いやり」や「同情」は、それが成年の健常男性を基準とした「恩恵」である限り、救援に際しては容易に切り捨ての原理に転化する。
たとえば、眼鏡をなくしただけで、補聴器をなくしただけで、常用していた薬をなくしただけで、通訳が居ないだけで、家族がいないだけで、「あなたは救済対象から切り捨てられる」可能性。
イマドキの思考では、特定の条件に沿って他者を切り捨てるデスノート的発想や、ナルシスト的 敢えて悪をなす施政者めいたポーズが、ほかの「共存共済」物語より_優先されて_選ばれてしまう… 選ばれやすくなっているのかもしれない。他者の物語(共有できない部分)を尊重するより、共有できる概念だけでやってかまわないという機能優先の言説がアタリマエになってきてないか。
いや、そんなことになってきてはいないよ、選ばれやすくはない、安易に切り捨てに短絡しないよ、という証左はないだろうか。
選択は、手抜きではないと言いきれるか。
相談や配慮を極限まで詰めてもなお、力至らなかった上での、覚悟だろうか。
p.479
牧歌情調を保存しつつ、余剰人口を抱えることのアポリアであり、二兎を追えば必ず「人量り田」に至るしかない、という現実の隘路…
過剰避難になっていないか。どこかに希望は残っていなかったのか。
切り捨てずに済む道は。
災害。
突然訪れる災害。
そのときどのようなことが起きて、どんな力が錯綜してしまうのか、誰が弱者になってしまうのか、…心構えを得るために、この「地震と社会」という本の厚みはたいへん栄養になる、いつか遭遇する非常時の、予習になる。
へぇボタン:へぇ〜
と押してみるもよし
![[ Dorm B ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)



















