左右の民俗学、天皇の左右、右利きの進化
カテゴリー[ 書籍メモ楽屋用 ] 2007/08/06

「左右の民俗学」
礫川全次編
歴史民俗学資料叢書 第2期 5 (2)
批評社 2004/10
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過去のいろいろな論者のテキストを集めた資料集。
●このシリーズは毎度、編者・礫川(こいしかわ)氏による前書きやあとがきが面白い。
例えば 『 レイプに寛容な鹿児島/男色の民俗学 』
●収録された各文献の中、p34にいちばんびっくりした。
「右利きの進化」でよく沙汰(さた)される「敵と戦うときに心臓をかばえて有利だったから右利きが増えたのだ」説、これ、19世紀からあった説だったのか!!
... 以下つづき...
●日本の葬儀における左前の発生
8世紀まではけっこう民衆は右前も左前もゴッチャに暮らしていた。
それが「天下百姓右襟」というお達しが下って、庶民は皆右エリで暮らすことになった。
葬儀の際には「常態とは逆」の行為が行われがちであり、死者には左前があてがわれるようになった。
●右には「日常・俗」、左には「非日常・聖穢」があてられる。 〜松永和人
この論考らしい、読んでみたい。
↓

『左手のシンボリズム 「聖」‐「俗」:「左」‐「右」の二項対置の認識の重要性』
松永 和人 (著)
九州大学出版会; 新版 (2001/04)
旧版は1995年かな

【天皇と左右】

●天皇の立ち位置が変化した経緯 (〜あとがき)
古来日本では「向かって右」が優位であった。雛壇も天皇が向かって右。
大正二年から、写真などでは天皇は「向かって左」に写るようになる。おそらく欧米王室の慣習に倣ったのではないかと推察されている。
それが、昭和二〇年九月、終戦&占領を迎えて、マッカーサーと写る天皇は、「向かって右」におわした。それはすなわち、マッカーサーより下位であることを示すものであった。
新聞で写真を目にしてその立ち位置の意味するところに気づき、よけいに意気消沈した国民もいたに違いない。
たかが左右、されど左右。この「写真」をキッカケに、大正期に途絶えた「尊左」の伝統を復活させ、「向かって右」を優位とするという通牒を出すべきだなどと考えた小役人はいなかったのか。占領軍への抵抗としては「新聞発禁」に比べれば遥かにユニークだし、国民に多少の「希望」を与えることもできたのではないだろうか。
日本における天皇の立ち位置の意味とその効果までをも、掌握してくれていた占領軍。

右と左、そう空間が把握された時点ですでに発生してしまう<呪>や<色>、恐ろしさ。
そんな<呪>や<色><力><気配>がすべてを支配する中で息をすること、生を営むこと、意味に支配された空間に没入して染まること。
※ 古代墓地に見る空間の意味
そういう異質なありようが察しづらくなっているきょうび、他者尊重を是とするリバタリアンは実際問題どのくらい・どこまで他者のありようを尊重しきれるのだろうか。
異文化の深淵に身を震わせずして、安易にリバタリアンを僭称すべからず。
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